サイトへ戻る

たのしむ

· エッセイ

僕の仕事はものをつくったり、売ったりしています。
昔から手を動かして何かを作るのは好きだったし、人と話のも好きな方なので、俗にいう好きなことを仕事にしている部類に入るのかもしれない。
なのでたまにですが「好きなことを仕事にされてていいですね」なんて声をかけてもらえたりもします。
もちろん間違いではないとは思ってるけど、しっくりも来ていないのは事実でハニカんじゃう。

僕の実家は自営業をしています。
若かれし父は車が好きだったようで(子育てもそこそこにレーシングカーでサーキットを走ってたらしい)、その流れで車の修理をしてるんですが、子供の頃によく「好きなことを仕事にすると嫌いになる」と言われていてそうなんだーと朴然と思っていた。
だから好きなことを仕事にしようだなんてあまり考えなかったし、冷静に考えると絶対この世界にいたいんだ!と思えるほど熱中したものもなかった気がする。
僕の中の好きなことを仕事にするってのは、昔からサッカーが好きで高校までやっていたけどプロになれる実力がないことを実感した時にフとした出会いでスタッフ側の仕事の重要性に気が付き、プレイヤーは諦めて猛勉強したんです!みたいなことで、僕なんかはそんな情熱があったわけでもなく、どちらかといえば今みたい世界を避けて通ってきてたから本当に好きなんです!と大きな声では言えないんだよな、、、とよく思う。

好きかどうかは置いといて、仕事として成立せさてる以上責任はつきもの。
今置かれた環境で与えられたものを全うすることの大切と好きや嫌いは別物なんだと捉えている。

好きなことでもそうじゃなくやらされていることでも、冷静に仕事としての作業量のみをみるとあまり変わらないことが多い。
もう少し踏み込んで考えると1人の人間のできる1日の仕事量ってのは多少の増減はあっても実はそんなに変わりないんじゃないかと思ってる。
だから好きなことだからたくさんできるとか、やらされてるからやる気が出ないってのはその人の実力ではなくて精神のコントロールの問題なんだと思う。

夏場、僕は月に1.2度ほど草刈りを2時間以上する。
これは僕にとっては何の生産性もない作業でやらなくても本来仕事には影響しない。けども周りの人に迷惑を掛けたくないのでやらなくてはならない、やらされてる仕事のひとつ。
草が伸びてくると「やらなきゃな、、、」と正直思う。やらなきゃいけない時期は決まって暑いのだ。
そうなると日に日に嫌になる。嫌になるとやる気が出ない。
昔はそんな繰り返しになることも多かったけど、最近では一回の草刈りでどれだけ綺麗にできるか、どれだけ効率的にできるか、草刈りに合いそうな音楽を探して草刈り機の音を大きなヘットフォンみたいなもので遮断してご機嫌な音楽やラジオを楽しんでる。


そんなことをしてると自分以外からやらされてる嫌だったことが自分の問題に成り代わり、それをどう楽しむかを考えるようになる。


楽しくやった草刈りの後の綺麗になった場所を通るたびに「綺麗になったなー」なんて思うし、わざと綺麗になったところが見たくてその付近を通ったりと意味なく自分の功績に浸ってしまう。

僕が嫌だなーと思っていても、楽しいと思っていても物理的に生えてる草の量は全く変わらない。
けれども気持ちが変わるとその工程は全く違う気持ちで進む。

嫌だなー面倒だなーと思う時、どうしたら自分が楽しみめるかを考えてみる。
楽しむために専用の快適な手袋を買ったり、iphoneのタイムラプスで撮影して早送り動画を作ったり、わざと田舎のおばあちゃんみたいな帽子を買ってコスプレ気分でやってみると気分って意外と簡単に変ってくれる。
よう少しだけアホなことを取り入れると楽しくなってくるんだろう。

好きなことだから、とか、苦手だからとかって案外小さな問題を自分に向けて大きな呪縛として唱えてしまってる気がするんだよね、みんな。


好きなこともただただやり続けると嫌いになることだってあるし、苦手なことも自分なりに楽しむ方法を見つけると楽しくなって好きになることだってある。

やらなきゃならないことなら同じやるなら楽しくやんないとね。