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毎日暮らす

· エッセイ

今、僕は比較的規則正しい生活を送れている。
平日、土日関わらず起きる時間も寝る時間も規則的だし、暴飲暴食することも稀。
それはこの先も同じかもしれないし、もしかすると非規則になっちゃうかもしれないけど、今はありがたいことにとても規則的なんです。

 

規則正しく、心穏やかに暮らすのは理想的で素敵だと思う。
だけどそれが全てではないと思うんです。


小さな子供が居たり介護していれば自分の時間なんて全然取れないし、体調が優れなければ片付ける元気も出てこない、仕事で嫌なことがあればイライラだってしてしまう。

 

20代の若かれし頃、僕の生活は不規則で乱れていた。
必要なくダラダラと徹夜をしたり、食事もコンビニや外食が多かった。洗濯はするけども畳むことなくハンガーにかけっぱなしで乾いたものから着ていたし、掃除も年に1度あるかないか。
まあとにかく、俗に言う男の一人暮らし。自由だった。

 

規則正しくなった今、なぜあんなに生活が不規則でだらしなかったのか?もう少し頑張って整えろよと思う反面、あの自由な感じが懐かしく少し戻りたかったりもするんだけど、その頃はエネルギーも時間も今よりはたくさんあった割に何をどう活かすべきなのか、いろんなことができそうなのに何一つできていない自分に自覚はあまりなかったけどモヤモヤしてたんです。

今ならばモヤモヤしてる時こそ掃除をしたり、整頓したりと規則的なことをするだろうけど、そんなことをしても何にも変わらないと思っていて、そのモヤモヤを紛らわすため遅くまで遊んだり、洗濯や掃除などやらなきゃならないことを後回しの悪循環が起きてしまっていたんです。

中高生の時に服装の乱れは心の乱れなんてよく言われていたけど、このところそんな言葉が身に染みる。

 

楽しかろうが辛かろうが苦しかろうが生活は続くし終わらない。
理想を追い求めるあまり出来ていないことにイライラしてしまっては平穏はやってこないし、何も考えず欲望の赴くまま暮らしていても欲望は尽きることがない。

 

いつの時も自分自身を見つめながら、ほんの少しの厳しさと心の余裕を持ち、その時々に合わせて無理のない範囲で、時には手を抜いて休憩もしながら暮らしていけると、激しく乱れずそこそこ平穏な日々を過ごしていけるんじゃないかな。
その平穏が次の平穏を呼んで、まるでバームクーヘンや年輪のように重なって大きくなっていけばちょっとやそっとでは折れない強さとしなやかさがやってくる。

 

劇的には変わらないし変わってはいけない生活。
毎日暮らすってことはそこそこのこと。